09 ふたたび出会う


真夜中に目が覚めた。もういちど眠るのはあきらめて、馬のいるくらやみを訪れた。いつでもこの心地よい場所に来られるとは、なんとすばらしいことか。

昨晩はひっきりなしに雷鳴が轟いていた。どうどうと音を立てながら雨が地面を打っていた。いま雨は止んでいる。風はある。荒れた気配は残っている。くらい空を雲がぐんぐん動いている。雲の端が光る。そこから月光が一瞬あふれまた消える。

カディの気配がない。どこか遠くにいるらしい。探しにいくことにした。ゆっくり歩を進めていくうちに、体がくらやみへなじんでいく。

いちばん奥にカディはいた。ぼうっと立ってまどろんでいた。

カディが私に気づいた。と同時に、ヒヒヒンと鳴いた。
あ!君か!会えたね!

私はうれしくなる。
会えたね、また会えたね。

カディは乾いた鼻先で、私の匂いをそっと嗅いだ。



もうどれだけ馬といるくらやみを経験してきただろう。台風の破壊的な力が渦巻くくらやみも、幻のように霧がすべてを包み込むくらやみも、あまりの静けさに空飛ぶ鳥の風切り音が届くくらやみも、この世のものではないものが訪れるくらやみも、馬とともに通過してきた。数千ものくらやみに身を置いたことで、この場所は私の血肉となった気がしている。

くらやみはいつでもここにある。たしかなものとしてここにある。特異な時間でも場所でもなく、毎日繰り返されている。そのことに安堵する。そういう場所だからなんとなく、生から死へと向かう瞬間にも、ここへ帰ってこられるような気がしている。



幼い頃の記憶がとても少ない。あるのは断片的な感覚の記憶だ。うごく影、かたちを変える雲、ゆれるカーテン、草いきれ、雨のにおい、飛ぶバッタ、花の蜜の味、暗い森、頭に浮かんだ考え。

いちばん最初の記憶らしい記憶は、幼稚園の建物と建物をつなぐ、トンネルみたいな暗い通路の真ん中で考えたことだ。

ここにこうしていることを、みらいのわたしはおぼえているかな。

ふうっと浮遊するような、すうっと視点が変わるような、風に乗って見たことのない角度から世界を眺めているような、そんな心持ちだった。そのことをコドモの未来である私はいま思い出している。

ヒトの友達については誰ひとり思い出せない。

ヒトではない生き物とともだちになりたいと思っていた。よくちいさな生き物を飼ったし、ともだちのように思う木もあった。ヒトではない生き物とともだちになる物語をよく読んだ。この世にそんな物語がたくさんあるということは、ヒトのなかにそういう指向性を持つ者がある割合でいるのにちがいない。

ヒト同士の関わりではどうしても越えられない呪いのようなものを、異種のともだちは、ふっとほどく手助けをしてくれるような気がする。



若い頃、暗黒時代があった。自分でそう呼んでいた。自我が壊れ、これが世界だと信じていたすべては幻想にすぎないと知った。 どこにも出口はないと感じていた。
 
あの頃は、光の方へ行かなくては外に出られないと思っていたのかもしれない。光が希望。闇が絶望。そんなふうにとらえていたのかもしれない。

考えてみたら、そもそも私は光に目を向けることを苦手としていたのだ。

夜明けに太陽が顔を出すと、それまで感じていた心地よさは消える。早々に光の届かないところへ行きたくなる。多くのヒトが快感を感じるだろう、これぞクライマックス、という状況を苦手とする。

そういう性質を、かつては精神の歪みと思っていたが、いまは生まれつき持っている生物的な感覚の傾向なのかもしれないととらえている。

この世界にはヒトとはちがう認知のありかたをもつ生き物がいくらでもいる。ヒトの領域の外に出れば、いくらでも別の世界がある。

たぶん、分かたれていると感じることが私の苦しみを作りだすのだろう。光は世界を分ける。くらやみにいるとその感覚の外に出る。異種のともだちと過ごす時間を積み重ねるうちに、昼と夜、まったくちがう基準で成り立つふたつの世界を同時に生きるようになった気がしている。



くらやみはいつでもここにある。わたしは馬とここにいる。

やさしいくらやみはどこまでも広がっている。境界線はない。正しさも誤ちもない。善も悪もない。幸せも不幸せもない。よりよくも、よりわるくもならない。あらゆる存在が溶け合いながらそこにある。あらゆるものが変性し続けている。

とても静かだ。

カディがひとつあくびした。
そして草を食べはじめた。