05 異種のともだち(1)


馬といるくらやみは、私にとって長い旅路のうえに辿り着いた贈り物のような場所だ。場所といっても住所のついた固定の場所のことでなく、馬といるこの時空のことだ。

馬といるくらやみを訪れるたびに未知の感覚が開かれる。不思議なのは初めて出会う感覚なのに、どういうわけか「帰ってきた」という懐かしい気持ちもあることだ。

本来自分の属する場所があってここがそうなのだ、というのとはすこしちがって、むしろ「何にも属さないでいられる」という状態が懐かしさにつながっているのかもしれない。

ここは懐かしい場所だけれど、私が自分ひとりで辿り着くことはなかった。馬という他者の存在があって初めて来ることができた。



生き物としてのエネルギーが少なくなってわかったことがある。

力ない生活は以前知っていた世界とずいぶん勝手がちがった。あっという間にエネルギーが切れてしまう。だから常に行動ごとの負荷を算段し、その配分を考えるようになった。そうでないと生活が立ち行かない。

あらためて観察してみると、普通の暮らしだと思ってやってきたことのいくつかは、思っている以上にたくさんのエネルギーを費やして成り立たせていたものだということがわかった。

くらやみにいると落ち着くのは、たとえば強い光、色、音、高温などの環境が私には負荷になるからだ。そういうものがないだけで消耗度は格段に変わる。

ヒトとのコミュニケーションはもとより得意ではなかったけれど、そのためにどれほどたくさんのエネルギーを使っているか、如実にわかるようになった。



四歳の頃の気持ちを思い出す。自分の内側から外側へ視線を向けはじめた頃のことだ。

私が見たまま感じたままを言葉にする。ヒトビトが緊張する。とくにおとなたち。どうしてかよくわからなかった。

ヒトビトは「言うこと」と「やること」が違う。なぜだかよくわからなかった。

「ぼくはかなしいうたをうたいたい」という歌を作ってうたった。ヒトビトがぎょっとする。そんな歌をコドモはうたってはいけないようだった。

みんなで、同じ動きを決められた通りにする。私にはむずかしいことだった。なぜそうしなくてはいけないのかわからなかった。

わからないことばかりだった。ヒトビトの世界で生きていくために、ヒトの動きを観察し、情報を集め、推測し、こういう時にはこう動けばいいのだろうか、と考えることが習慣になった。

私は内側の言葉を口にしなくなった。私も「言うこと」と「やること」が違うヒトになった。

「ヒトとしての私」を生きるためには、たくさんのエネルギーが必要だった。



『動物感覚』という本がある。自閉症の動物学者として知られるテンプル・グランディンさんが書いた本だ。

カディと暮らし始めた頃、馬のことを理解したくて、手に入る限りの馬の本を読んだ。読むたびに、なるほど馬とはそういう生き物としてヒトにとらえられているのか、と情報を増やしていった。知らないことばかりだな、と思った。

『動物感覚』に行き着いたのはだいぶたってからだ。読み始めたとたん、「わかるわかるわかる知ってる知ってる知ってる」という感情があふれた。他の本と情報の入ってくる角度がちがった。

馬と暮らすうちに自分でつかんだ感覚もその時すでにあったけれど、それよりもグランディンさんの世界の眺め方、動物をどのように見て、どのように感じ、そこからどんなことを考えるかという回路のあり方を、くっきり同じではないけれど、なんだか知ってる、と思ったのだった。

自閉症であるグランディンさんは様々な知覚過敏があり、その感覚の偏り方がある種の動物たちの感覚に近いのだった。

たとえば牛が通りたがらない場所があったら、牛が何を嫌がっているか、彼女が行けばすぐに見つかる。チラチラ光るものだったり、音だったり、感触だったり。普通のヒトが気づかないもの、長年牛を扱ってきたプロさえ気づかないものを彼女は見つけられる。

その特性を活かして博士号を取り、後に家畜の施設設計者として知られるようになる。(この本では馬を含め様々な動物について語っているが、彼女のいちばん好きな動物は牛だそうである。)



私は馬といる時につい笑ってしまう。その感覚をどのように説明すればいいか以前はわからなかった。好きなのはもちろんだが、もっと生理的なもの、器質的なもののように感じる。後づけで考えれば、もしかしたら負荷を感じずに接することができる初めての他者だからかもしれないと思う。

馬がなにかに反応する時の敏感さ、動きや思考のリズム、他者とコンタクトする時の間合いなど、種として持っている感覚と認知のあり方が、私の偏り方とどこか重なる領域があるのかもしれない。

もちろん、今でもわからないところはわからない。けれどもわかるところはたしかにわかる、という感触がある。互いの間にそう伝わるものがあるように感じる。

異種のともだちは、「言うこと」と「やること」を変えずに一緒にいることができる。